SS0008

無題-作:[ID] u0gyBFV0 ■13.2kb


我が家は至って普通の家である。少し年季の入った平屋建ての家で、
少しばかり他の一般的な家と比べて敷地が広いけれど金があったのは今は昔、
今頃父さんは必死で会社で営業回りをしているだろう。
いや、この時間だと会社帰りに焼き鳥屋に寄って峰口さんと酒でも
一杯飲んでいる頃かもしれない。

しかし、我が家には絶対に秘密にしなければならないことがあった。
正月に親戚一同で集まるような風習すらすたれてしまった我が家に
たった一つ残っている古くからの秘密。
今僕はシャケとみそ汁などを乗せたお盆を持って屋根裏への階段を登っているのが、
この問いのヒント。


「ええい、遅いわ!」
スッパーン!と小気味良い音を立てて、階段の先、屋根裏部屋入り口の引き戸が開いた。
「みろ、もう6時を2分も過ぎておる。2分じゃぞ、2分。」
ぷりぷりと怒るこの少女こそ、我が家の秘密であった。

「何言っているんだよ。電車じゃないんだから分単位で家事が運行出来る訳
ないじゃないか。僕だって忙しいんだし、そんなに早く食事は作れないよ。」

僕は少女をつい、と避けて屋根裏部屋へと入る。そこには古い桐たんす、小さな机、
座布団がある以外は他に何もない殺風景な部屋であった。

「何を言う。知っておるぞ、今の汽車は秒単位で正確に運行しているそうじゃないか。
わしは鉄の塊にすら劣るお前をどうにかしてやろうとな……」

出た、説教モード。僕はお盆を机の上に下ろして、「ごめんごめん、不甲斐無い僕を
心配してくれたんだね。ありがとう。」と言いながらおかっぱ頭に手を乗せて、
ぐいぐいと頭を撫でる。
「やめい、子供扱いはやめい」と僕の手を退かそうと手を伸ばすが、
その表情は嫌がってないように思えた。
ほんと、不思議だよな。こんなのが100歳だとか200歳だとか言うのは。


「ほら、早くご飯食べな。待っててあげるから。」
「別におぬしに言われずとも食べられるわ。
むかし、ままごとで面倒をみてやったのは誰だと思っとる。」

そう言って、屈んで僕の手の下からするりと抜け出すと、とてとてとっと机まで駆け寄り、
ちょこんっと座った。
赤い薄手の和服を着ておかっぱ頭。瞳の大きいくりくりとした目が配置された整った顔。
まるでどこかの人形屋に置いてあっても違和感がないような存在の彼女。
僕はまるで妹のように彼女に接して、過ごしてきた。


「のう、武。」もぐもぐもぐっと口を動かしながら、少しくもぐった声で僕に話しかけて来る。
「ちゃんと飲み込んでから話しなさい。」
僕は親指で彼女の口の横についた米粒をひょいと取って自分の口に運ぶ。
彼女がぽかん、と口を広げて僕の方を見る。
「で、どうした?」
「いいいいいや、何でも無い。」
何故か少し頬を赤らめた彼女は茶碗に顔を埋めるように食事を再開した。
「ねっ、武くん。」がやがやがやと放課後に帰り支度をしていると、彩音が話しかけてきた。
「今日は、空いてる?」僕はうーん、と考える。
今日は早家に帰って彼女と遊ぶ約束をしていた。彼女の約束を破るのは、正直怖い。

「うーん、ちょっと予定があるからなあ……」
「えー武くんこの間も予定があるって言ってたじゃんー。」彩音は頬をぷう、と膨らませて抗議する。

「杏たちにも武ちゃん連れてくって行っちゃったし、来てくれないと困る……」
いやそれはお前が勝手にやった事だろおいおい、と言いかけたけれど、
彩音の上目遣いじとーっという視線は僕のそんな言葉を引っ込めてしまい、
代わりに「分かった分かった、行くから。」なんっていう言葉を引っ張り出していた。
「やったー武ちゃんとデートっ!」
ポニーテールをぽーんぽぽーんと跳ねながら喜んでいる彩音と対照的に、
僕はどんな言い訳をしよう、何てなじられるだろうと考え、沈んだ気持ちで教科書を鞄に詰め込んでいた。


「つーん。」家に帰ったのは7時半。カラオケの後ご飯にも誘われたけど、
家にごはんがあるから、と断って急いで帰ってきてこの時間であった。
「なあ、機嫌直してくれよ。」つーん。こちらを向いてもくれない。
「なあ、仕方ないじゃいか、僕のも友達付き合いってのが……」
そう言うと、きっと振り向き、彼女は僕を睨みつけた。
「わしは、わしは友達なぞおらん。武、お前しかわしにはおらんのじゃ。」
下唇を上げ、むすっとした表情をしていたが、その目は潤んでおり、今にも涙が零れ落ちそうだった。

「わしは、多くは求めん。ただ、数少ない楽しみ、武との約束が、
武との時間が一つ失われてしもうて、悔しいだけじゃ。」
そう言うやいなや、再びぷいっと向こうを向いて肩を震わせ始めた。
僕はいつもの強気の彼女と様子が違うことに戸惑い呆然っていたが、
うっ、ううと声を上げて泣き始めた彼女を抱きしめていた。
「ごめん、寂しかったんだね……。今度から気をつけるから……」
彼女は嗚咽を懸命に堪えながらうん、と小さく頷いた。


「武ちゃんー、今日は空いてるー?」「ゴメン、暫く忙しいんだ。」「えーっ!今日もー!?」
そういうやり取りが僕と彩音の間で頻繁に行われるようになった。
僕にしか見えない、家で待っている可愛い妹分のために、多少友達の輪から外れてしまうのは覚悟の上だった。

「もういいよ、武ちゃん忙しいんでしょ?彩音も無理して武ちゃん誘うのやめなって。
武ちゃん困ってる顔しているじゃん。」
言葉とは裏腹に杏の視線は冷たく鋭い。
「私たちだけでも十分楽しいって。ほーら行くわよ!」「うにゃー!連行されるー!お慈悲ををを!」
彩音は杏に首根っこを掴まれずりずりずりりと教室の外へと引きずられて行った。
僕はほっと息をついて鞄を整え、家路を急いだ。


その日の夜、杏から電話が掛かってきた。
「武、ちょっといい?」「うん?大丈夫だけど。」
夜の10時過ぎ。ドラマを見終わった所に電話が掛かってきた。

「あんた、近頃付き合い悪過ぎ。まあ、別に忙しいんだったらいいんだけど。」「うん。」
「うん、じゃなくてさ。あんた、彩音のこと分かってる?」
彩音の事?なんだ?
「彩音、何かあったのか?」「はーこれだから武は……だーからやめておけって私も言ったのに……」
深々とため息つく音が聞こえる。
「いい?あんたが何に忙しいか分からないけれど、あんた、彩音を大切にしなさい?
小学校の頃からずっとお世話になってんでしょーが。
近頃は彩音の方が世話になってるかもしれないけど、きちんと彼女の相手をしてやりなさい。
寂しがってるの、分かってるでしょ?私からはこれだけ。」
「いや、ちょっとどういうこ」
がちゃり。一方的に切られた。

その夜僕は頭の中でぐるぐると杏の言葉が回っていた。
「彩音の事を少しは考えなさい」
彩音。家が近所で、小学校へ入る前から一緒に遊んでいた記憶がある。
よく、家の屋根裏部屋に入って遊んだ覚えがある。
机とタンスがあって、丁度おままごとをやるのに良いって言って、
急な階段だから上がっちゃ駄目だという親の言いつけを破っては登っていた懐かしい記憶.。
その時、携帯電話が鳴った。彩音からだった。
応答ボタンを押したピッっという音が暗い部屋の中に響く。

「ゴメン、寝てた?」「いいや、まだ起きてたよ。」
「良かった。ごめんね、こんな時間に電話して。」
携帯電話特有のノイズの向こうから、ほっと息をつく音が聞こえる。
「あのね、こんな時間にこんな事言うのもあれなんだけど、
町内の第二公園までちょっと出てきてくれる?大切な、話が…….あるの。」
「わかった、今すぐ出るよ。」

公園にたどり着くと、既に彩音は待っていた。
親指だけ分かれた白い毛糸の手袋と、大きな白いマフラーを首に巻いて、
自慢のポニーテールを風に漂わせていた。
「ごめんね、こんなに寒いなんて思わなかった。」
てへへ、と照れ隠しに笑う彩音は公園の灯りを背にしていてその表情は読み取れない。
「そうだね、もう12月も中だしね。」
気の利いた台詞、というものが思い浮かばずに僕は曖昧に返した。
「あのね、電話したのはね。武ちゃんに……大切な話があって。」
彩音が顔を俯かせて言葉を続ける。
「私、外部の高校に進学するんだ。武ちゃんとは……来年からバラバラになっちゃう。」
ヒュッっと、一瞬無意識に息をとめていた。
「それは……いつ決めたの?」
「武ちゃんとこの間カラオケ行ったとき、それよりもちょっとだけ前。
絵の賞を取ってから、お母さんたちもその気になっちゃって、
早くそちらの専門教育を受けた方がいい、って。」
言葉を切って、彩音はふっと空を見上げる。相変わらず顔に影が落ちて表情は読めない。
「きづいたらあれあれあれって言う間に進学が決まっちゃってね。私が今更行く気ないよ、
なんて言える雰囲気じゃなくなっちゃった。」
てへへ、っと笑う声が聞こえるが、きっと顔は笑っていないだろう。

「武ちゃん、まだ最後、っていう訳じゃないけど、
私の気持ちを伝えさせて下さい。一方的で我が侭なお願いだけれど。」
決意をしたように彩音ははっきりとした声でそう言った。
「武ちゃん。私は、ずっと、小学生の頃から武ちゃんの事が好きでした。
良かったら、私と付き合って下さい。」
すっと、二人の間に風が抜けて行ったような気がした。
僕はきっと心の何処かで予想していたはずだけれど、
それでも実際にこんな風に告白をされるとどきんと心臓が跳ねた。
「……ごめん、僕にはそんな資格はない。」
「……そっか……。」
ふっと息を吐く音が聞こえて彩音は僕に背を向けた。
「うーーーん、よし!これで吹っ切れた!私、大丈夫。
向こうに行っても、一人できっとやっていけるんだから!」
その声は大きかったけれど、弱々しく感じられて僕は申し訳なく思った。
そして再び僕の方に振り返り、彩音は
「ごめんね、こんな湿っぽくしちゃって、私らしくないよね。
うん、あと少し数ヶ月だけれどよろしく!」
言うや否や、僕に視線を合わせることなく駆け足で家に戻って行った。

公園からの帰り、僕は彩音と遊んでいた頃の事を考えていた。
何処へいくにも彩音、彩音、彩音。その頃の僕は今よりも暗く、
他の友達もおらず家に引きこもり気味な子供だった。
それを彩音が毎日にようにピンポーン武ちゃんいますかー!と呼びにきて
遊びに連れ出してくれたお陰で他の子供と完全に孤立せずにいられた。
その時よく言われた言葉を思い出す。

「武ちゃんは私が守ってあげるんだから。」
「武ちゃんを学校で守るの私。武ちゃんを家で守るのは  ちゃんのお仕事。」

家で守るのは……。ええと誰だっけ、というか、僕はその頃彩音以外の誰かと一緒に
遊んでいた事があったっけ、と首を捻る。
すると、プルルルっと携帯が震えメールが着たことを僕に知らせた。
開くと写メール。彩音から「title: そういえば」とのメール。
受信表示ボタンを押す。
くるくるくるる、とパケット受信画面が流れた後に画像は表示された。

「なつかしい写真が出てきました!むかし、よく多恵ちゃんとままごとして遊んだよね。
そう言えば、そろそろ7回忌だね……。」
多恵……ままごと……多恵……多恵
僕は頭を殴られたような衝撃を覚え、その場にうずくまった。
「そうだ、多恵…多恵……!」


だだだだっと乱暴に階段を駆け上がり、僕は屋根裏部屋のドアをスパーンと開ける。
そこには赤い和服……いや、真っ赤に血塗れになった和服をまとった彼女--僕の妹であった
タエが静かに座っていた。

「タエ……多恵!」
「そうか、ぬしは気づいてしまったか……」
寂しそうに、しかし諦観の混じった声で続けた。
「ワシはタエであってタエでない。何者でもないただの座敷童に、
ぬしがタエを投影してわしはタエと近しい存在になったのじゃ。」
すう、と静かに立ち上がると僕に近づき僕の顎に手を当てた。
「わしは本来、大人には見えん。ぬしが、わしにタエを重ねたから……わしはぬしと出会えたのじゃ。
けれど、もうこれで終わりじゃな。タエがもうこの世におらんと、ぬしは気づいてしもうた」
つつつっと顎から頬を撫でるように手を運び、そして頭の後ろに手を回した。
「これが、わしからの最後の褒美じゃ。」
つぷっと、唇が触れるような感触が一瞬して、そして離れた。

僕が何も言えずに、何も動けずにそのままで居ると、多恵……いや、タエは
すうと立ち上がり窓枠にひょいと乗っかり、僕の方を見た。
「なに、そんなに悲しい顔をするでない。別にまた多恵が死ぬわけでも、わしが死ぬ訳じゃない。」
「見えず触れなくなるのが、悲しくないっていうのか……?」
僕は喉の奥から声を捻り出した。
「僕は……認めない。一度失った者をまた失うなんて……僕は認めない。」
僕は窓に近づいてゆき、タエを抱きしめた。
「僕は誰にも君を渡さない。絶対に、何をしてでも。……そうか、これが恋、だったのか。」
認められない恋、成就するはずのない恋。
「ははっ、僕の初めての恋は、余りにも豪快じゃないか。種族どころか存在さえ超越した恋。
これは、成就しがいがあるじゃないか。」
タエを抱いたままははは、と笑って、笑って、そして涙が溢れた。
「僕は何もかもに気づくのが遅すぎたんだ。本当に、何もかも。そして、全て物事を悪い方に転がしている。」
膝から力が抜けて、タエの前でへたり込んだ。
「ぬしよ……完璧な人間なぞ、どこにもおらん。」
タエは、優しく諭すように、僕の頭を撫でながら言った。
「ぬしは、良い男だった。ただ、少し自分を責めすぎただけじゃ。もしあの時妹と一緒に居たら?
もしあの時もう一時間早く遊びから帰ってきていたら?そんなことばかり考えて、
ちっとも自分の事を考えておらんかったではないか。」
タエは窓枠から音も無く降りて、僕の横に座った。
音がしないのは、既にその存在が弱くなっているからだろう。
「これからは、自分自身のために自分の人生を歩め。自分自身のことを第一に、行動せい。
そして、早く新しい自分が守るべき相手を見つけるんじゃ。
わしは、少しぬしの"まもるべき相手"の席を独占し過ぎた。」
すっとタエが立つ気配がする。
顔を挙げると、月の光が透けて通るほどになっていた。
「ぬしよ、いままでありがとう。楽しかった。わしはこれからもずっとぬしの傍で、
ぬしが良い男になっていく様をずっと見守っているぞ」
タエはその言葉を最後まで紡げずに消えてしまった。タエが消えた後には、
赤色のビー玉、多恵が一番好きだったビー玉が転がっていた。


「武ちゃん武ちゃん!ほらほら、凄いでしょこれこれ!」
腕を引っ張るのは彩音。美術系の学校の入学祝いパーティーをして追い出して
「ああこれでまた静かになるな寂しくなるなあ」と思った矢先に美術展に誘われたのだった。
「おいおい、お前周りから睨まれてるだろ。静かにしないと、怒られるぞ。」
彩音は舌をペロっと出して失敗失敗、と呟いてまた僕の腕をぎゅっと組み直す。
周りからの視線がより一層厳しくなる。

彩音と僕は、付き合っている。結局、多恵が亡くなった後もタエが居なくなった後も、
気に掛けてくれていたのは彼女だけだったのだ。
「もー、武ちゃんってば全然見てない。」
彩音は百面相のようにコロコロと表情が変わって、見ていて飽きない。
「折角私が誘ったのに楽しくないのー?」
ぷう、と頬を膨らますその姿はさながら頬袋にひまわりの種を詰め込んだ
ジャンガリアンハムスターのようで、思わず僕はぶふっと吹き出してしまった。
「あー、武ちゃん酷いー。何笑ってるのよー。」
さらにぷうーーっと膨れる彼女はきっとそのまま飛んで行けるに違いない。
「いや、絵よりも彩音の表情を見ていた方が面白いな、って。」
そう言うと彩音は見るからにかーっと顔を真っ赤にして、そして俯いてしまった。
自分からのアクションは積極的なのに、相手からやられるのは苦手なようだった。

僕の中のタエの記憶は、だんだんともやが掛かったように薄れてしまっている。
今では、どんな服をしていたのか、普段どんな会話をしていたのかも思い出せない。
けれどそれでいい。多恵が居てタエが居た、そしてその二人に僕は支えられて見守られている、
これだけを忘れなければ何も問題はない。
「ねえ、武ちゃん、次の部屋いくよー!」いつの間にか組んでいた腕を解いて、
さっさと次の部屋に行こうとしている。
全く、元気過ぎてついて行くのが大変だよ、と僕は苦笑して小走りに彼女の後を追いかけた。

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  • 最終更新:2010-10-23 03:56:34

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