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広がる宇宙の中、小さな地球(ほし)の話をしよう -作:スターダスト ◆C.B5VSJlKU ■39.8kb


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 やがて男を食べ終わると、イオイソゴは粛然と呟いた。
「大丈夫じゃ。お主を痛めつけようとかそういう意思は持っておらぬ」
 向き直った遥か先にいたのは尖十郎。壊れた襖の中に茫然と座り込んでいる。
 一連の戦いの妖気に囚われたという訳ではない。
 彼の周囲の床はことごとくドロドロと溶けている。立てないのはその溶けた床が強烈な磁気を
帯びて尖十郎を拘束しているためである。
 イオイソゴは戦闘の最中に尖十郎の足元へ耆著を打ち込み、辺り一帯を磁性流体と化して
いたと見える。
 むろん最初は逃れようともがいていた尖十郎であるが、磁力は血中の鉄分に反応したのか
彼を床へと吸いつけた。傷の痛みを堪え必死の思いで階段へ逃れんともがいた彼だが、横目
で見たそこも既に磁性流体のるつぼであった。かろうじて見えた一段目はとろけていた。左右
の壁に至っては何らかの磁力線に沿ったらしく針山のように激しく隆起し、向かいのそれと癒
合するや……扉よろしくばったりと閉じた。後はもう最初からそこに階段などなかったようにふ
よふよと波打つ異常な壁があるばかりである。ならば二階の窓から、と振り返っても磁性流体
と化した窓枠総てことごとく癒合し退路を断っている。そも退路があったとしても、尖十郎はそ
の場から一歩も動けぬ。
 そうこうしているうちに前出の妖気を孕んだ戦いを観戦せざるを得なくなり、かつて「木錫」と
呼んでいた憎からぬ隣人が人を喰うおぞましい情景さえまじまじと見せつけられる羽目になっ
たという次第。
 脱出を阻まれた時点ですでに精も根も尽き果てていた尖十郎だ。
 もはや瞳からは光が消え、ただただ呆けたようにイオイソゴを眺めている。
「できれば知られたくなかったのう。わしの本性」
 ストローを仕舞ったかんざしを口に咥えながら、イオイソゴは無邪気な調子で髪をポニーテー
ルに結わえた。服はまだ着ていない。にも拘わらず彼女は裸体を隠そうともしない。少女らしく
そういう所業にあまり羞恥がないのだろう。
 とはいえ瞳には憂いと悲しみの光が限りなく宿っている。
「わしはな。人間が憎くて喰っとる訳ではないんじゃ。仲間たちは……それぞれ凶悪な理由で
人間を殺しておるが、わしは違う」
 やがてできたポニーテールへかんざしを斜めに刺すと、イオイソゴは白い裸体をくゆらせるよ
うに四つ足で尖十郎にすり寄った。
「ヌシら牛肉とか好きじゃろ? でも牛を見てすぐに殺したいとは思わぬじゃろ? 殺されるさ
だめの牛を見たら、まず『可哀相』って思うじゃろ? ……わしの人間観もそれなんじゃ。食べ
たい。けれど隣人としては愛おしい。だからわしは憎悪で人を殺したくないのじゃ」
 そっと尖十郎の首をかき抱くと、イオイソゴは甘い匂いのする唇を彼のそれへと押しつけた。
しばらくそうしていただろうか。ねっとりとした果汁の糸を引きながら、気恥しげに視線を外しな
がら、イオイソゴは呟いた。
「その……好きじゃ。わしはお主の事。許可が出なかったとしても、好きなんじゃ」
 わずかに尖十郎の瞳に光が戻った。そして彼は何かを言いかけた。
「だから喰うのじゃ」
 耆著が尖十郎の喉笛に深々と突き刺さった。
「安心せい。さっき言った通り『痛めつけは』せん。そのうち脳髄さえもとろけ痛みも何も感じな
くなる。ただわしの中で甘く甘く溶けていくだけじゃ。そう……」

「ハッピーなアイスクリームのように」

「だが唇を合わせるのは好きな者だけじゃぞ。ストローなぞ……使いとうない。ヌシを直接感じ
させて欲しいのじゃ…………」
 再び合わせられた唇から、じゅるじゅると何かをすするような音が響いていく。
 尖十郎の体はいつしか横たえられ、ずずずと音が響くたび少しずつだがしぼんでいく──…

 およそ一時間後。

「くふふ……。好きになった者を喰いたくなるわしの性、正に業腹」
 尖十郎のブレザーを前に、口を拭うイオイソゴの姿があった。
 彼の姿はもはや辺りにはない。
 或いはイオイソゴの腹部を解剖する者があれば観察できるかも知れないが……。
 果たして見えざる斬撃線をスルリと切り抜け、果てはゲル状にさえ溶解できる彼女を解剖で
きる者など存在するのだろうか? そもそも磁性流体と化した状態で喰われた”物”を元の存
在として認識できるかどうかと問われればそれもまた難しい。DNA鑑定を用いれば照合自
体はできるが人間的感情では色々認めがたい部分が多いだろう。
「旨かったのう。でも……」
 法悦の極みという態でニンマリと笑っていたイオイソゴの瞳にみるみると涙があふれた。
「やっぱり悲しいのう」
 涙は頬を伝い、持ち主亡きブレザーの上へぽろぽろとこぼれていく。
「いくら喰っても腹が減る。満腹になっても腹が減る。いつになったらわしは満たされるのじゃ
ろうなあ。わしのような化け物が世界に満つれば変わるのかのう? 教えておくれ……尖十郎」
 ひとしきり泣いた後、黒ブレザーを着ると、イオイソゴ=キシャクは仮初の自宅から姿を消した。
 
 以後、その街で彼女を見た者はいない。







  • 最終更新:2009-08-30 23:26:05

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